日本最古の甘味料「甘葛」——清少納言も愛した、幻の天然甘味

甘葛(あまづら)は、砂糖が普及する以前の日本で親しまれていた、ツタ(ナツヅタ)の樹液から作られる天然甘味料です。秋から冬にかけて蔓(つる)を切り取り、そこから滴り落ちる樹液を集めてじっくりと煮詰めることで、やさしく上品な甘みが生まれます。
平安時代の文学作品にもたびたび登場し、『枕草子』では削り氷(かき氷)にかけて食べる上品なスイーツとして描かれていることでも有名です。しかし、手間の多さと製法の複雑さからやがて製法が途絶え、「幻の甘味料」と呼ばれるようになりました。近年では歴史的文献をもとに再生・復元する試みも行われており、日本の食文化の原点として再び注目を集めています。
写真:甘葛シロップをかけたかき氷
なぜ「ぎゅうなべ」ではなく「うしなべ」?江戸から明治へ繋ぐ「牛鍋」の歴史と地域ごとの進化

明治維新の文明開化とともに大流行した「牛鍋」。現代では「ぎゅうなべ」と呼ばれることも多いですが、当時は「うしなべ」という読み方が主流でした。
なぜ音読みの「ぎゅう」ではなく訓読みの「うし」だったのでしょうか。そこには日本の食文化の歴史が深く関わっています。日本では古代より猪を「山くじら」、鹿を「もみじ」と呼ぶなど、肉食を和語(訓読み)や隠語で表現する慣習がありました。江戸時代末期から明治初期にかけて、庶民にとって馴染みの薄かった牛肉を身近な鍋料理として取り入れる際も、日本語として親しみやすい「うし(牛)」の語感が好まれて定着したとされています。
また、一口に「牛鍋」と言っても、地域によってその歴史や調理法には明確な違いがあります。
- 東(関東・横浜)の「牛鍋」 開港地・横浜が発祥とされる関東の牛鍋は、あらかじめ醤油・みりん・砂糖・酒などを合わせた「割りシタ(割下)」で、牛肉とネギや豆腐などの具材をグツグツと「煮込む」のが特徴です。当初は牛肉の臭みを消すために味噌仕立てで提供されていましたが、牛肉の質が上がるにつれ、現在のすき焼きのベースとなる醤油ベースの割下へと進化しました。
- 西(関西)の「すき焼き(牛鍋)」 関西では、鍋で直接牛肉を「焼く」(または煎じる)ことから始まり、肉の脂が出たところで砂糖と醤油を直接加えて味を調え、最後に野菜を入れて水気を出す調理法が主流です。農具の「鋤(すき)」の上で肉を焼いたという古い歴史に由来し、明治期にも関東の割下煮込みスタイルとは一線を画す独自の焼き文化を保ち続けました。
庶民の言葉から生まれた「うしなべ」という呼び名には、西洋文化を受け入れつつも日本の伝統的な鍋文化へと昇華させた、先人たちの創意工夫と食への情熱が込められています。
写真:関東の「牛鍋」
古代のアジアが生んだチーズの原点「酥(そ)」

「酥」とはどんな食べ物だったのか?
「酥(そ)」とは、古代のアジアや日本で作られていた高級乳製品です。
牛乳や羊乳を加熱し、表面に浮き上がる濃厚な脂肪分(クリーム)を集めて精製したもので、現代でいう濃厚なバターや生クリームのようなフレッシュチーズに近い存在だったと考えられています。
長屋王の時代に特に盛んに食べられていたといわれています。
「蘇(そ)」との違いは?
よく似た言葉に「蘇」がありますが、作り方と性質が少し異なります。
- 蘇(そ): 牛乳をそのまま長時間煮詰めて固めたもの(濃縮ミルクに近い)
- 酥(そ): 乳から脂肪分・クリーム分だけを丁寧に分離・精製したもの(バターやチーズに近い)
「酥」のほうがより精製度が高く、古代においては非常に贅沢な高級品でした。
仏教の教えと「醍醐味(だいごみ)」のルーツ
私たちが日常で使う「醍醐味(最高の味わい、真髄)」という言葉。実は、この「酥」が深い関わりを持っています。
仏教の経典には、牛乳から最高品質の食品を作り出すまでの5つのプロセス(五味)が描かれています。
- 乳(にゅう):搾りたての牛乳
- 酪(らく):ヨーグルトのような発酵乳
- 生酥(しょうそ):分離させたフレッシュな脂肪分
- 熟酥(じゅくそ):さらに精製・熟成を進めた状態
- 醍醐(だいご):最終的に得られる最高の極上品
搾りたての「乳」から発酵を経て「生酥」「熟酥」となり、最終的に到達する至高の味わいが「醍醐」です。「酥」は、最高峰である「醍醐」へ至るための重要なステップだったのです。
現代に生きる「酥」:サクサクのパイ生地とお菓子
現代の日本では日常で「酥」という漢字を見る機会は少なくなりましたが、中国や台湾では今でも大活躍しています。
かつて「酥」が持っていた「バターのように濃厚で、サクサク・ホロホロとした食感」から、現在ではパイ生地や香ばしい焼き菓子を表す漢字として使われています。
酥皮(スーピー):香港などで愛されるエッグタルトなどのサクサクしたパイ生地
鳳梨酥(フォンリースー):台湾土産として大人気のお菓子「パイナップルケーキ」
長屋王ら最高位の貴族だけが口にできた最高級の薬・極上珍味
- 天平時代の位置づけ(古代のロイヤル・サプリ) 宮中の医療機関「典薬寮」に牛を飼う「乳牛院」が置かれ、天皇や貴族の滋養強壮・病気平癒のための「高級な薬」として酥が作られていました。
- 長屋王との直接の繋がり(発掘された証拠) 奈良市の長屋王邸跡から「酥」と書かれた木簡(荷札や支給記録)が出土しています。長屋王のような超VIPが、実際に酥を取り寄せて食していた動かぬ証拠です。
1頭の牛からわずかしか作れない「酥」は、天平の貴族にとっても超激レアな最高級品でした。
お茶の発見者「炎帝神農」
中国の伝承では、炎帝神農はお茶を最初に発見・飲用した人物とされています。
「お茶は気分と知恵を高める。からだをきれいにし、精神をなごませる。落ち込んでいるなら、力を与えてくれる。」という言葉を残しています。
- 野草の毒を消す「茶」の発見 神農は、人々に薬となる植物を教えるために自ら数多くの草木を舐めて効能を確かめました(日に72回も毒にあたったと伝えられています)。その際、お茶の葉を噛む(または木の下でお湯を沸かしていたときに落ちてきたお茶の葉を飲んだ)ことで、解毒され身体が回復したとされています。
- 『神農本草経』の記述 中国最古の薬物書とされる『神農本草経』には、「神農、百草を嘗め、日に七十二毒に逢うに、茶を得てこれを解す」という趣旨の記述があり、これが「お茶の起源」に関する最古の伝承の一つとなっています。
17世紀ヨーロッパ お茶の効用
お茶のもたらすさまざまな効用がヨーロッパの医師たちの注目を集めたのは17世紀からのことです。
1641年、オランダの医師ニコラ・ディレクはその著書『医師の観察』の中で、お茶ほどすばらしい効用のある植物は他にないと述べ、さらに「お茶を飲む習慣があれば、人はあらゆる病気から身を守ることができ、長寿を約束されるだろう」と記しています。
1678年、オランダの医師コルネリ ボンテコエは『すばらしい飲み物、お茶』という論文を発表しました。その中で彼は、中国の文献から引いたお茶の美点を以下のように記しています。
お茶の効用
1.血をきれいにする。
2.悪夢を払う。(快眠)
3.憂鬱な気分を軽くする。
4.めまいと頭痛を軽減、治癒する。
5.水腫を治す。
6.風邪の最高の薬となる。
7.湿気を取り除く。
8.便秘の治療薬となる。
9.視力を上げる。
10.不機嫌と肝臓疾患から身を守る。
11.あらゆる膀胱疾患のよい薬となる。
12.脾臓の鎮痛。
13.余計な睡眠、不要に長い眠気を払う。
14.愚かさを払う。
15.活動的、精力的にする。
16.勇敢にする。
17.不安を払う。
18.腹痛を取り去る。
19.生理痛のよい薬となる。
20.身体のあらゆる臓器を強くする。
21.精神を研ぎ澄ます。
22.記憶力を強化する。
23.知性を強くする。
24.心配を取り去る。
25.精力を強化する。
26.渇きを癒す。